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シルバー人材活用は江戸時代に学べ!~名老中・松平定信の老人力活用法とは?~

だるま
 少子化と高齢化が同時進行している現代の日本。労働人口の不足を補う存在としてシルバー(高齢者)人材の活用が注目を集めています。
 豊富な経験や知恵、人脈をもつシルバー人材は、活かし方によっては組織にとって非常に魅力的な存在です。江戸時代最大の改革と言われる寛政の改革を成し遂げた、かの名老中・松平定信(1758~1829)もシルバー人材に目を付け、活用した人物でした。天保の改革を成し遂げたこの敏腕老中はいかにして老人たちの力を引き出したのでしょうか?
■「老人を敬え」を体現した定信
  8代将軍吉宗の孫として生まれた松平定信。江戸幕府の要職・老中に就任した時、彼はまだ30歳、いかに名門の出とはいえ当時としては異例の若さです。弱冠25歳で白河藩(現在の福島県)の藩主となり、わずか数年で藩財政の立て直しに成功した実力者ゆえの、大抜擢でした。
 しかし、彼が白河藩主になった天明3年(1783年)は、天明の大飢饉の真っただなか。しかも悪名高い田沼意次の『賄賂政治』の影響で、世の中は乱れ、不安定な時代を迎えていました。そんな時代にあって、定信がいち早く着手したのは意外にも、老人福祉対策でした。彼は儒学の教えにのっとって「老人から学ぶ」ことを信条とし、実行したのです。

■敬老の日は「敬老の間」に集合!
  定信はまず、現在の敬老会に当たる「尚歯会」という老人会を藩内に組織、月のうち数日を「敬老の日」としました。さらに城内には尚歯会のメンバーのために特別室「敬老の間」を開設。敬老の日には尚歯会の高齢者一同を敬老の間に集めたのです。そして定信自ら、敬老の間に集まった老人たちと酒食を共にし、高齢者の悩みや愚痴に耳を傾けると同時に、自らも藩政について高齢者から意見やアドバイスを集めたといわれています。

■「敬老」の思わぬ効果

  面白いことに定信のこういった敬老活動は現役世代に思わぬ変化をもたらしました。つまり「藩主様はお城に隠居連中を呼んで、話を聞いているらしい。うちの隠居に私や家の悪口でも言われたらたまらん!」と焦った部下たち、にわかに自分の両親や祖父母を大切に扱いはじめたのです。そして藩主定信を見習って高齢者から教えを乞い、彼らの経験や知恵に倣おうとする者が増えたといいます。
 また藩にはびこる贈収賄をなくすための妙案も、敬老の間の高齢者との会話から生まれました。以下のようなエピソードが伝わっています。
 定信が「収賄をなくす良い対策はないだろうか?」と問うたところ、ある隠居が手作りのダルマを持ってきて、その頭に小判を結わえつけ、定信に差し出しました。ダルマは小判の重みで転び、起き上がれません。その隠居は「このダルマを各役所に一つずつ配り飾らせてはいかがでしょう?ダルマは私たち隠居が暇を見つけてつくりますよ。」と言ったそうです。なるほど、賄賂を受け取った者は結局身を滅ぼすのだということを見事に皮肉ったアイディアです。定信はこのダルマ案を即採用、狙い通り藩内の汚職は激減したといいます。

■シルバー人材活用成功の秘訣

  その後定信は見事に藩政の立て直しに成功、自らも質素倹約に努めて藩の財産を健全化し、天明の大飢饉中も藩内に一人の餓死者も出さなかったと言われています。さらに幕府老中に昇進してからも同じく質素倹約・老人福祉重視の政策を貫き、ついには寛政の改革を成し遂げたのです。
 定信の高齢者福祉政策は単に高齢者を奉って大切にすることではなく、彼らを「活用する」ことでした。しかも現役世代の代替に高齢者を使ったのではなく、高齢者にしかできない仕事を割り振ったことが特徴です。これは、現代のシルバー人材活用を考える上でも大きなヒントになるのではないでしょうか?
 つまり、単に現役世代と同じ業務を高齢者に割り振るのでは、組織全体の効率や業績は上がりにくいはず。体力やITスキル等の点で現役世代に劣る高齢者が多いことは否めない事実だからです。
 どんな仕事を任せたいのか?また、経験や人脈など、どんな「財産」をもった高齢者を採用すれば、組織全体のプラスになるのか?をきちんと整理しておくことがシルバー人材採用成功の基本と言えるでしょう。